初代社長からのスカウトをきっかけに恒和システムへ入社したという平野社長。しかし入社後に待っていたのは“思っていたのと違う”悔しい日々でした。そしてその原体験があったからこそ、彼女は役員就任後に“大改革”を断行したといいます。
「社員を信じて、全てを見せる」_自らが社員時代に感じていた理不尽をすべて反転させた、大改革の全貌とは。異色の経歴を持つ経営者の、改革の哲学に迫ります。
初代社長からのスカウトです。大学生の時にアルバイトをしていたお店の常連で、私の働きぶりを見て「うちの会社に来ないか」と声をかけられました。
どうなんでしょう。アルバイト先の社長は人使いの上手い人で、コイツは任せられる、と思ったらアルバイトでも責任を持たせてみんな任せていました。
最終的には社長がほとんど店に来なくなり、仕入れから売上の計算まで私が回しているような状態でした。そういうところを見ていたのかなと思います。
そんな大したことではないですが。ただ「任されたからにはやらなきゃ」という責任感はありました。
子どもの頃から、気づけば人の面倒を見ていたり、責任を取る立場になっていたりすることが多かったなと思います。
私が就活をした時代はちょうどバブル期で、就活は楽勝。周りの友人はみんな大手企業に行くような時代でした。でもだからこそ、せっかく働くなら「みんなと同じじゃつまらないな」と思っていました。また、「大きな会社の小さな歯車になるよりも、小さな会社の大きな歯車になりたい」とも思いまして。
ちょうどその時、横浜支社を立ち上げるフェーズだったんです。一社員としてではなく、そこを任せてもらえる、自分で支社を作れる、という面白さに惹かれたのが大きかったですね。「この会社を一流企業にする!」と、図々しくも思い、就職を決めました。ちなみに私が思う「一流企業」とは、上場しているとか自社ビルを持っているとか、そういうことでは無く、社員が「この会社に入って良かった」と思える企業のことです。
そういう人は働かなくていいんじゃないんですか?やったこともやらなかったことも、いずれ必ず自分に返ってくるので。
人生の苦労の量っていうのはみんな一緒で、それが先に来るか後に来るかだけだと思うんです。例えば受験や就活で苦労した人は、後は100%安泰とは言えないですけど、少なくとも努力して来なかった人より得たものがあると想います。例えば頑張り続ける体力とか、苦しいことを乗り越えるメンタル力とか。
まあでも、楽な方に流れてしまうのは彼らだけが悪いわけじゃないと思います。時代や環境の変化もありますし。そこに気が付いて「これじゃいけない」って思うか、そのまま行くかだけの差だと思います。
実は私も学生の頃は「働くとか無理」と思っていましたが、案外やればできるし、働くって楽しいよ、と今は思いますね。
学生の時って「これは何になるのか」と思うことも多々あって。先行きの見通しや実感がないと、何のためにこれをやってるんだろう?って思うじゃないですか。
でも“働いてお金をもらう”っていうのは、誰かのためになっているから、その対価としてお金がもらえる訳で。頑張ったことが認められてお金ももらえる、そんないいことはないぞと思います。
入社してから10年ほど、当時の上司との関係に悩みました。
私は会社を良くしたくて、先回りして色々動く。すると「あなたがそうやってやるから社長が来なくなるんでしょ!」と言われる。良かれと思ってやった仕事で怒られるわけです。
当時、男女雇用機会均等法は既にありましたが、上司は古い価値観がまだ根強く残っている年代で、典型的な「女性なんだから」という考え方でした。そういうギャップも大きかった。
何度も辞めようと思いましたが、自分が抜けたらこの会社はどうなる、と思い、踏みとどまっていました。
ひとつめの転機はその上司が退職したことです。私が責任者になったので、思う存分仕事ができるようになりました。
ただ、ひとつの部署の長的な立場だったことと、直属の上司として初代社長がいましたので、何でも自由にできるわけではありませんでした。
大きく変わったのは、社長が二代目に代わった時です。
二代目の社長は根っからの技術者で、経営には全く興味がない人でした。就任挨拶で「僕は社長になりたくてなったんじゃありません」と言って社員をびっくりさせたくらい、正直な人です(笑)。
良くも悪くも会社に執着がないので、私が「会社をこう変えたい」と提案すると、「いいんじゃない? どうぞどうぞ」と全て任せてくれた。二代目の社長が私を信頼し、自由にやらせてくれたからこそ、その後の“大改革”ができたんです。
まず、組織を根本から変えました。以前は社内組織と客先プロジェクトの体制が別で、評価との間に矛盾が生じていたんです。
例えば社内の役職は課長でも、客先プロジェクトでは一般メンバー。それなのに賞与や昇給は課長クラス。与えられるものと実際にやっていることが違うでしょう、と。
そこで社内の役職という上下関係を撤廃し、プロジェクト単位で動くフラットな組織にしました。
次に着手したのが、教育です。長いこと「お金がないから」と提案しても取り合ってもらえませんでしたが、会社の未来のためには絶対に必要だと思っていました。
そこで私は、自分がやる事を前提に社会保険労務士と税理士の契約を切り、「その顧問料を教育費に回させてほしい」と社長に直談判したんです。そうやって捻出した費用で、ビジネススキルの研修を始めました。
また月一で社内研修も始めました。これは私が講師を務めています。様々な客先で働く社員が毎月一回会社に集まって顔を合わせ、ビジネススキルを学んだり、経営情報を共有したり、近況報告をしたりして交流し、「帰ってきたくなる仕組み」をつくりました。社員同士の仲が良い、と社内外から言われるのですが、これは社内研修も影響しているのかなと思います。
以降十数年、一度も休まずに続けています。
財務面では“無借金経営”と“黒字化”を、給与を下げずに5年で達成しました。
さらに形骸化していた決算賞与も変えました。社員からすれば、たとえ1万円でも500円でも、貰えるものは嬉しいと思うのです。
社長に「頑張れば還元されるという実績を作りましょう」と提案し、始めは1万円だったと思いますが、支給し始めたところ、3年目くらいから皆が本気で利益を意識して行動するようになりました。
社員全員に、PL・BSはもちろんのこと、毎月の売上・コスト・利益を公開しました。自分が会社にどれだけ貢献し、コストが掛かっているのか。残業が利益をどれだけ圧迫するのか。すべてわかるようにしたんです。
社員からすれば、色々と隠された不透明な状態で頑張れと言われても、ちょっと不審じゃないですか。全てをガラス張りにして見える化することで、「どうすれば利益が上がるか」を全社員が自分事として考えるようになりました。
全て、私が社員時代に「これは嫌だな」「こうだったら良いのにな」と思ってきたことの裏返しです。社員として、どうだったら嬉しいかをまず考えてしまう。”社員根性”が抜けないんだなと思います(笑)。
決算賞与の分配方法も社員の意見で決めています。自分たちの声が会社を動かすとわかれば、皆ちゃんと利益を出そうと頑張りますから。
幸せになって欲しいです!この会社を“舞台”として活用して、それぞれの幸せを叶えて欲しい。
それがお金でも、家族でも、ワークライフバランスでもいい。社員ひとりひとりの幸せを実現するために、この会社を使い倒してもらえれば、と思っています。
過去の経験を、未来の組織を良くするための原動力に変えてしまう。その姿勢こそが、平野社長の持つリーダーとしての凄みなのではないかと感じます。
また「会社を自分が幸せになるための舞台として使ってほしい」。インタビューの最後に語られたこの言葉は、恒和システムの社員の皆さんにとっても、これから社会に出る若者にとってもエールとなるはずです。
編集:佐藤 由理
1979年設立。システム開発・運用を主事業とするIT企業。金融、製造、鉄鋼、通信など多様な業界を対象とし、業務システムの設計から開発、運用、保守まで一貫したソリューションを提供している。
フラットな組織構造で全社員が意思決定に参加するというユニークな企業文化を持つ。