仕事観に迫るメディア「CEO VOiCE」。今回インタビューに答えてくださったのは、株式会社フェズ・赤尾 雄司氏です。
華々しいキャリアが印象的ですが、その原点にあるのは「生きるために働く」という思想だとか。その言葉の真意、そして赤尾氏の働く哲学に迫りました。
かなりプリミティブな部分なのですが、私は“生きるために働く”ということを大事にしています。これこそ、人間の原点の強さだなと思うんです。それがこの国やビジネスレイヤーから失われつつあるなと。
豊かになっていく過程で、どうしても人は上の欲求に目がいくものです。マズローの欲求階層で言えば、自我や承認欲求ですね。それ自体はいいのですが、生きるために働いているという感覚やその強さを忘れてはいけないと思います。
そしてその上で、誰も成し遂げていない景色を見たいなと思うし、次世代にはかっこいい社会を見せてあげたい、自分自身もそうできるかっこいい大人であり続けたいと思うんです。
両親の影響が大きいと思います。
当時“起業”とか“スタートアップ”とか、そういったカッコいい言葉もない中でなにかを成そうとして立ち上がり、結果苦労して失敗してしまったが、背中を見せてくれた父。
そして、その環境において、家族を支えるために未経験ながら営業で愛知県下のトップを獲り続けるほどの努力家だった母の姿を見て育ってきたので。
金銭欲とか社会的な力とかではなくて、もっと根源的なもの__両親やこれまで支えてくれた人たちへの自分なりの大切な想いを守るために頑張るんだということを、子どもの頃から強く持っているように思います。
一方で、日々生きることに苦労しない段階にいるなら、社会課題の解決に対して挑んでいくべきだという想いも強くあります。
フランスに「noblesse oblige」という言葉があって。苦しまないポジションにいるなら、社会のためになにかを成すことに自分の力を使うべきだという意味で…私はここをすごく大事にしています。
だからこそ「新しい景色を見たい、見せたい」という想いも同時に持っているのだと思います。
自分自身のベクトルや情熱がどこにあるかということとちゃんと向き合うことが出発点だなと思ってます。
なにが好きとか、どういうことに興味があるとか。小さなことでもいいので、自分はなにを大事にしてきたんだろう、なにを大事にしたいんだろうということと向き合うことが前提ですね。
その上で私が強く言いたいのは、「会社で3年、5年働いてる人たちの“目の輝き”を見よう」ということです。
そこで働き続けている人がどのくらい熱量を持ち続けているのか、目の輝きを失っていないのか、ワクワクが残っているのか、実直なのかを見てください。それが会社の文化そのものだと思います。
エスカレーター、あるいは階段的な気質を持つ組織だといいですね。エレベーターだと先に乗った人には追いつけないけど、階段なら自分が走れば追い越せるので。
またその意味でもう1つ、「今後伸びていくメガトレンドに立地してるか」も重要です。個人が頑張るのは当たり前ですが、会社自体が成長市場の波に乗ってるかどうかで、その努力が100になるか1000になるかが変わります。
どういう意味合いでその言葉が出てくるのかを聞いていくのがいいのではないでしょうか。真実は、問われた時に出てくる言葉の重さや、その裏にある背景に宿っている気がします。
例えば、大谷翔平さんや野茂英雄さんが言う「挑戦」と、我々が言うそれは違いますよね。背景にある歴史や苦労が、言葉に重みをもたらすのだと思います。
その人自体を見抜くのは難しくても、言葉がどこから来ているのかを掘り下げて聞くことはできるでしょう。その答えから判断するのは1つの手だと思います。
根本には「全ての価値観は許容されるべき」という思いがあります。その人がどう生きてきて、どんな背景で価値観を持つに至ったのかは誰にも否定されるべきではない。
だから、その価値観をきちんと守って欲しいですね。
社会に出ると、荒波に揉まれたり、それこそ価値観を否定されたりすることもありますが、あなたの人生のオーナーシップは会社にはないので。自分のオーナーシップを手放さない、譲れない価値観=“聖域”を守って欲しいと思います。
一方で、それが会社と合わなくなった時に“転職”という選択肢が出てくるんだろうと、経営者として理解もしています。
いえいえ、そんなことはないですよ(笑)
時代はどんどん変わっていきますから、自分が成功だと思っていることすら否定できる人間でないと、気づいたら自分が社会のストッパーになってしまっているなんてこともある気がして。それは嫌だなと思うんです。
度々野球で例えてしまいますが、“二刀流”は今でこそ賞賛されるし、指導者も止めないと思いますが、それは大谷選手が成功したからですよね。
二刀流でやるということを高校の先生が許容し、日本ハムが許容し、MLBが許容したおかげで世界的な結果につながって今の新しい常識がある。
つまり自分の価値観を絶対化してしまうと、社会のストッパーにもなり得るということなんですね。
常に、自分の常識は次の時代の非常識になることもあると心得ていたいし、むしろ自分にとっての“非常識に賭けられる社会”の方が希望があるとも思っています。
最後の「自分にとっての非常識に賭けられる社会の方が希望がある」という一言が、非常に印象的でした。
このようなことを恐れず言い切れるのは、赤尾氏自身が“自分のオーナーシップ”を握っているからでしょう。
私もそんなかっこよさを持った大人になりたい。そのためにまずは自分と向き合い、改めてベクトルや聖域を確かめることから始めてみようと思いました。
編集:佐藤 由理
2015年設立のリテールテック企業。国内最大級のリテールデータプラットフォーム「Urumo(ウルモ)」を基盤に、小売業界のDXを推進。広告・販促・店頭のワンストップソリューションを提供し、購買データを活用したマーケティング戦略の立案から実行、改善までを支援している。